2021年1月27日水曜日

あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。



出エジプト記 3章1~6節

モーセは、ミデヤンの祭司で彼のしゅうと、イテロの羊を飼っていた。彼はその群れを荒野の西側に追って行き、神の山ホレブにやって来た。
すると主の使いが彼に、現れた。柴の中の火の炎の中であった。よく見ると、火で燃えていたのに柴は焼け尽きなかった。
モーセは言った。「なぜ柴が燃えていかないのか、あちらへ行ってこの大いなる光景を見ることにしよう。」
主は彼が横切って見に来るのをご覧になった。神は柴の中から彼を呼び、「モーセ、モーセ」と仰せられた。彼は、「はい。ここにおります」と答えた。
神は仰せられた。「ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。」
また仰せられた。「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」モーセは神を仰ぎ見ることを恐れて、顔を隠した。



はじめに

今回の聖句は、モーセがエジプトのパロの下から逃れ、羊飼いをしていた時に、ホレブの山で神様に初めて出会った時の聖句です。私たちには初対面の人に会う時にはとても緊張するものです。例えばお見合いなどで、将来結婚するかもしれない方と初めて会う時のことを想像してみて下さい。

それがどれほど貴く、貴重な瞬間でしょうか?ましてやその相手が神様となれば、それがどれほど貴重で貴い瞬間であるか、言葉に表すことも難しいのではないでしょうか?神様はホレブの山で初めてモーセに姿を現し、彼に重要な使命を命じられるのです。それはエジプトにいるイスラエルの選民を解放することでした。

私たちはこの時に、神様が命じられた言葉から、信仰者が神様に出会う瞬間をどのように扱うべきかを学ぶことができるのです。艱難の時代を迎え、私たちが信仰の原点に立ち返る時に、絶対に守らなければならない秘密がここに隠されているのです。


本日のアウトライン

1、大統領選挙敗戦の反省点
2、信仰的に乗り切る
3、新しい闘いを始める
4、神様との関係を神聖視する
 「なぜ神様はモーセにくつを脱げと言われたのか」



1、大統領選挙敗戦の反省点
私たちはこの4年間ずっとトランプ大統領を応援してきました。しかし今回の敗退を踏まえて、反省すべき点があると思います。私なりに反省点を整理してみたいと思います。

(1)トランプ大統領に頼りすぎた。
私たちはトランプ大統領が、様々な問題を全部解決してくれることを期待していました。もちろんアメリカ大統領は大きな権力を持っていますから、その実行を期待するのは当然のことです。しかしその反面、それは私たちが誰かに依存する体質を生んだ可能性があります。もちろんそう言い切ることはできませんが、重要な反省点の一つです。

(2)軍が介入して問題を解決してくれると妄想を抱いた。
これは敵の攪乱作戦によって、私たちが陥ってしまった妄想です。もちろんトランプ大統領は反乱法を執行することにより、実際にこれを行うこともできました。しかしもう既にその時は過ぎ去りました。

この2つの共通点は、あなたの代わりに誰かが何かを行動してくれることにより、あなたが何もしなくても問題は解決するんだ、という誤った思想です。これは共産主義者の思想です。


2、信仰的に乗り切る

外的に失敗し、問題を抱えるようになった時、不安を抱えるのは自然なことです。しかし信仰者はそれを安易に口にすべきではありません。

勝利した時には栄光を天に返して神様を賛美し、敗北してしまった時であっても、悔い改めの心情を神様の前に奉げながら、どのような状況であっても、神様との関係を生命視するのが信仰者の姿勢です。例え過ちを犯してしまった時であっても、それを供え物にして神様の前に出ていくのが真の信仰者です。

勝利した時の歓喜の心情、敗北してしまった悔しい心情、それらはまず最初に神様への供え物として奉げなければなりません。私たちは神様の手足であり、結果を与えるのは神様です。ですからどのような結果になっても、それを神様が与えてくれたものとして捉え、その結果を貴い宝物として天に供えるのが正しい信仰者の姿勢です。もし神様に奉げる前に、横的に誰かにその心情を話してしまったら、天に奉げるべき初物を、被造物に奉げたことになってしまうのです。

だから信仰者は勝利した時も、敗北した時にも、常に慎重にならなければなりません。安易に自分の心情を打ち明けてはいけません。それを正しく天につないでくれる人に打ち明けないで、もしこの世の人に打ち明けた時には、それらの貴い宝は、全てサタンに奪われる可能性があります。


3、新しい闘いを始める

私たちは今まで誰かに頼り過ぎました。トランプならきっとやってくれるだろう。○○さんならきっと分かってくれる。私たちを支持してくれる。あの人ならきっと正しい政策を行ってくれる。

これからは何でも、まず自分から始めないといけません。○○さんがやってくれる、ではなく、まず自分がやってみるべきです。あの人ならきっと正しい政策を行ってくれる、ではなく、私は必ず正しい政策を実行する、と考えるべきです。

私たちはいきなりトランプと同じことはできません。しかし今からまずできることから始めてみるべきです。


4、神様との関係を神聖視する
 「なぜ神様はモーセにくつを脱げと言われたのか」

「なぜ神様はモーセにくつを脱げと言われたのか」を知ることは、艱難の時代に私たちが信仰の難局を乗り切り、信仰者として生き残るためにとても重要なことだと思います。この聖句にはサタンが決して侵すことのできない神様と信仰者の秘密が込められているのです。

神様はモーセの前に初めて姿を現した時、彼にこう語りました。
ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。

神様は永遠のお方なので、神様が語るみ言葉も永遠です。神様はモーセ一人に対してこのみ言葉を語ったのではありません。これは現代の私たちに対して語られたみ言葉でもあります。ここで神様は、私たちが神様と出会った時に、どう立ち振る舞わなければならないのかを教えて下さっているのです。

神様はモーセに、くつを脱ぐように指示し、ここが聖なる地であると伝えました。これは私たち信仰者が神様と出会う場所はとても神聖なもので、絶対に侵してはならない聖域であることを教えるためです。ですから神様と出会った聖域を守ることは、私たち信仰者にとっての大切な務めなのです。

例えば、私たちの日常生活の中で、神様との関係と同じように、貴く、神聖な関係が存在します。それが夫婦関係です。例えば、ある夫婦が初めての夜を迎え、愛の行為が終わった後で、その女性が昔のボーイフレンドに電話をして、その日の夫との愛の行為がどんな風だったか感想を話し始めたらどうなるでしょうか?

それは夫に対する背信行為になるのです。なぜならば夫婦の関係は、第三者が踏み込むことが許されない、貴く、神聖な関係だからです。貴く神聖な行為であるからこそ、それは二人だけの秘密にしなければいけないのです。

神様と信仰者との関係もこれと同じなのです。私たちがまだ信仰的に幼かった時は、神様に出会った体験があれば、喜んでそれを誰かに伝えてもまだ許されました。しかし私たちの心霊が成長し、ものごとに責任を持たなければならなくなった時、そのような軽率な行為は絶対に許されません。信仰者にとって神様との出会いは、貴く、神聖な経験なので、絶対に軽々しく扱ってはいけないのです。

どうして神様と出会った瞬間のことを軽々しく話してはいけないのでしょうか?それは神様がくつを脱げと命じられたその場所を、サタンが土足で踏み躙る可能性があるからです。土足で踏み躙られたその場所はもはや聖域ではありません。

今までに多くの信仰者が、たったこれだけの秘密が守れなかったために、信仰の生命を失ってきたのです。なぜなら聖域が侵された場合、その責任は、聖域の秘密を軽率に扱った者にあるからです。

しかしもし信徒同志の交わりの中で、恩恵交換のためであるならば、その一部であれば話しても良いと思います。しかしその場合でも、あまりたくさん話し過ぎない方が良いと思います。

もし信徒ではない人がいる場所では、基本的にはそういった体験は話すべきではありません。もし話すとしても、あまり具体的な話はせず、一般的な話に止めるべきです。なぜならサタンによって土足で踏み込まれる恐れがあるからです。


これからは艱難の時代になります。私たちを攻撃してくる敵が大勢います。その時に私たちは話す言葉に十分に注意をしなくてはいけないし、行動にも注意をしなくてはいけません。そして何よりも、不用心に自分の秘密を打ち明けてはいけません。サタンは虎視眈々と神様とあなただけの聖域を狙っているのです。

 

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